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タイトル良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9332
投稿日: 2004/10/31(Sun) 03:33
投稿者まさと

私は本当だと思います。さまざまな意見があり、それはそれで大変学ぶ
ところの多いものです。よろしければ皆さんの御意見を。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9334
投稿日: 2004/10/31(Sun) 04:17
投稿者藤田 小太郎

--> まさと さん

美しい人物のポートレートを撮るのであれば、そういうことになると思います。何をもって良いポートレートとするのか、という定義の問題になるので、答えは星の数ほどあるでしょう。
ちなみに自分の答えはノーです。良いポートレートの定義が明確でないこと、美人の定義が明確でないことの二つの点が気になるのですが、自分の定義に当てはめると、ノーという答えになります。
自分にとっての良いポートレートとは、その被写体の特徴が一目でわかることです。良いところも、悪いところもです。良いところを強調するのもアリです。または、そのときの雰囲気が一目でわかることです。うれしかったのか、悲しかったのか、楽しかったのか、あるいはつまらなかったのか、といった記憶のなかの一瞬を切り取るような感じです。美人であろうが、そうでなかろうが関係ありません。見た人の心に残るもの、それが自分にとっての良いポートレートです。
いつかそういう写真を撮ってみたいものです。実は、・・・モデルがいないもので・・・。
それでは。


タイトル良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9336
投稿日: 2004/10/31(Sun) 04:55
投稿者まさと

--> 藤田 小太郎 さん

早速のレスありがとうございます。レスタイトルは少々誤解を招くようなものですが、カメラどれがいい のレスで興味深い議論があったため、新たに立てさせて頂きました。
本当の内容は、写真における被写体の重要度の問題です。ある人は、被写体で80%決まるといい、ある人はそれは極論だといいます。
被写体が重要である事を否定する人はほとんどいないでしょうが、その重要度の度合いについてはかなり意見が分かれるようです。
もちろん、日常のスナップを得意とする人と、風景を主にする人とで見解が別れるのは当然ですが、それにしても、被写体の選択と追及こそが写真の大要を決すると信じていた自分にとって、そうでない意見というのは驚きでもあり、新鮮でもあります。
ただ、個人的な感想として、機械や技術的な追及の熱心さにくらべて、被写体の追及の熱心さはずんぶんと少ない場合があるという気はします。そういった写真には感心はするものの、ただそれだけ、という印象を受けます。
美人はあくまで、一つのたとえです。美人、つまり美しい風景や決定的瞬間、味わいのある被写体を探し求める事が写真の本質だ、それ以外は二次的問題だ、は本当かというところです。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9338
投稿日: 2004/10/31(Sun) 06:01
投稿者ハイフェッツ

--> まさと さん

タイトルが今ひとつ誤解を生みますが、
「写真撮影において、目的に合った被写体を探す事が一番重要な要素か?」という意味で捉えます。

> 被写体の選択と追及こそが写真の大要を決すると信じていた自分> にとって、そうでない意見というのは驚きでもあり、新鮮でもあ> ります。

私も写真を始めた頃は、機材やテクニックが重要だと信じていました。写真の出来はそういうもので決まる、というか、そういうもので写真の出来を左右できると。でも今は、そうでは無いことを理解しています。

で、なぜそんな誤解が発生するのか?について考えると。
写真・カメラに関わる業界の人の利益に関わるからだと思います。
カメラメーカが「写真機材より被写体が重要です」とは言いませんよね?
写真家が「撮影テクニックより被写体が重要です」とも、なかなか言いづらいと思います。それじゃあ自分の価値は?って事になって。
カメラ雑誌が「機材や撮影技術より被写体で写真は決まります」って書いちゃうと、雑誌の存在価値が下がりますよね。っていうか書く事がなくなってしまうというか。
写真専門学校がまさか「写真の出来に技術はまり関係ないよ」なんてたとえそういう分野の写真であっても、それこそ絶対言わないでしょう。
要するに誰も「写真は被写体こそが重要」という事を認めて得する人が居ないのですよ。

写真を始めるまでは雑誌とかカメラメーカとか写真家が言った事しか情報元が無い訳で、その人達が言う事を信じてしまうのは仕方無い事だと思います。


タイトル良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9339
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:07
投稿者まさと

--> ハイフェッツ さん

> --> まさと さん
> > タイトルが今ひとつ誤解を生みますが、
> 「写真撮影において、目的に合った被写体を探す事が一番重要な要素か?」という意味で捉えます。
> > > 被写体の選択と追及こそが写真の大要を決すると信じていた自分> にとって、そうでない意見というのは驚きでもあり、新鮮でもあ> ります。
> > 私も写真を始めた頃は、機材やテクニックが重要だと信じていました。写真の出来はそういうもので決まる、というか、そういうもので写真の出来を左右できると。でも今は、そうでは無いことを理解しています。
> > で、なぜそんな誤解が発生するのか?について考えると。
> 写真・カメラに関わる業界の人の利益に関わるからだと思います。
> カメラメーカが「写真機材より被写体が重要です」とは言いませんよね?
> 写真家が「撮影テクニックより被写体が重要です」とも、なかなか言いづらいと思います。それじゃあ自分の価値は?って事になって。
> カメラ雑誌が「機材や撮影技術より被写体で写真は決まります」って書いちゃうと、雑誌の存在価値が下がりますよね。っていうか書く事がなくなってしまうというか。
> 写真専門学校がまさか「写真の出来に技術はまり関係ないよ」なんてたとえそういう分野の写真であっても、それこそ絶対言わないでしょう。
> 要するに誰も「写真は被写体こそが重要」という事を認めて得する人が居ないのですよ。
> > 写真を始めるまでは雑誌とかカメラメーカとか写真家が言った事しか情報元が無い訳で、その人達が言う事を信じてしまうのは仕方無い事だと思います。

私も同じことを考えていました。ハイフェッツさんの発言は、他の場合もそうですが、あまりに正論で、かえって理解されないことがあるのかもしれません。いずれにしても、写真に関しては大先輩ですので、よろしくおねがいいたします。
いわば、あたりまえのことが、あたりまえでないようにされるのが秘密、それも高次の秘密です。
私も、自分が知る最高の場所の、最高の季節と時間帯までは教えたくないという気はします。その知識があれば、それこそ誰でも、ほとんどどんな機材でも、人があっという写真が撮れるからです。デジタルであればなおさら成功の可能性は高くなります。デジタルになって元々低い写真の技術的垣根が、ますます低くなったはずです。
別のスレでもありましたが、多くの人は、写真家とはただシャッターを押すだけということに耐えられないのでしょう。誇りがゆるさないのです。ですが、被写体はなんでも、そこに自分を表現する何かを見つけるという意見には、人間の傲慢ささえ感じます。
私達はただ見つけ、出会いの幸運に感謝しつつ身を任せる、つまりシャッターを押す、ということではないでしょうか。
ですから、プロとアマの差は、得られる被写体の差、ポートレーなど条件をいじれる場合は、ライティングや設定の知識と設備の差、それ以外はごく僅かの差と断言していいと思います。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9344
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:43
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> まさと さん

えー、良い被写体を選択するという点でポートレイトで美人を求める
のは賛成ですね。他の人を惹きつける力は当然美人の方が大きいです
から。そこからモデルの魅力をより多く引き出すかはカメラマンの
腕(撮影技術だけではなく、会話やテンポなんかも重要)ですね。

>被写体はなんでも、そこに自分を表現する何かを見つけるという意>見には、人間の傲慢ささえ感じます。

これは私の意見ですが、ポートレイトのモデルがスリムじゃない
場合は真正面から撮らない。椅子などの上から撮るとか普通に
やりますが、これらの行為(被写体のアラを隠す)も「被写体は
なんでも、そこに自分を表現する何かを見つける」になりませんか?

また、マクロレンズでの近接撮影ではまさに「被写体はなんでも、
そこに自分を表現する何かを見つける」で撮ってます(苦笑)

> 私も同じことを考えていました。ハイフェッツさんの発言は、他の場合もそうですが、あまりに正論で、かえって理解されないことがあるのかもしれません。いずれにしても、写真に関しては大先輩ですので、よろしくおねがいいたします。
> いわば、あたりまえのことが、あたりまえでないようにされるのが秘密、それも高次の秘密です。
> 私も、自分が知る最高の場所の、最高の季節と時間帯までは教えたくないという気はします。その知識があれば、それこそ誰でも、ほとんどどんな機材でも、人があっという写真が撮れるからです。デジタルであればなおさら成功の可能性は高くなります。デジタルになって元々低い写真の技術的垣根が、ますます低くなったはずです。
> 別のスレでもありましたが、多くの人は、写真家とはただシャッターを押すだけということに耐えられないのでしょう。誇りがゆるさないのです。ですが、被写体はなんでも、そこに自分を表現する何かを見つけるという意見には、人間の傲慢ささえ感じます。
> 私達はただ見つけ、出会いの幸運に感謝しつつ身を任せる、つまりシャッターを押す、ということではないでしょうか。
> ですから、プロとアマの差は、得られる被写体の差、ポートレーなど条件をいじれる場合は、ライティングや設定の知識と設備の差、それ以外はごく僅かの差と断言していいと思います。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9348
投稿日: 2004/10/31(Sun) 08:04
投稿者まさと

--> ぷーさん さん

まあ、傲慢うんぬんについてはやはり舌足らずで、またまた誤解の元になりそうですが、とりあえず横に置いておきます。
ぷーさんの書き込みを見て思ったのは、写真はある意味、被写体と、ぷーさんの場合ですと、モデルと写真家の合作ではないか、ということです。自分の表現といっても写真の場合、相手あるいは被写体がある。抽象絵画の場合は自信の表現に徹しているわけですが、写真には常に相手があるわけですよね、違いますでしょうか。
その相手、まず相手の選択、表情の選択、そこで写しだすものは自分自身の何かであり、また相手のなかにある何かであると。いかがでしょうか。


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9361
投稿日: 2004/10/31(Sun) 09:55
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> まさと さん

私はモデルとの交流が「いい作品」を作る重要なポイントであると
考えて実行していますが、「合作」とは考えません。モデルさんの
側も衣装やポージング、体調など気を使うますが、やはりモデルの
魅力を最大限に引き出すのは「撮る側」の努力です。同じ条件で
複数のカメラマンが撮れば、全て違う作品になりますよね。
その努力も被写体が「美人」であれば、より良い物になるという事
ではないでしょうか。

また、ステージ上や多人数でモデルを撮る場合は、まさに瞬間を
切り取る事になりますので、より「撮る側」の比重が高くなると
思います。

> まあ、傲慢うんぬんについてはやはり舌足らずで、またまた誤解の元になりそうですが、とりあえず横に置いておきます。
> ぷーさんの書き込みを見て思ったのは、写真はある意味、被写体と、ぷーさんの場合ですと、モデルと写真家の合作ではないか、ということです。自分の表現といっても写真の場合、相手あるいは被写体がある。抽象絵画の場合は自信の表現に徹しているわけですが、写真には常に相手があるわけですよね、違いますでしょうか。
> その相手、まず相手の選択、表情の選択、そこで写しだすものは自分自身の何かであり、また相手のなかにある何かであると。いかがでしょうか。


タイトルRe^4: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9425
投稿日: 2004/11/01(Mon) 10:06
投稿者フミ
URLhttp://la-belle.or.tv/

--> ぷーさん さん

> --> まさと さん
>
> 私はモデルとの交流が「いい作品」を作る重要なポイントであると
> 考えて実行していますが、「合作」とは考えません。モデルさんの
> 側も衣装やポージング、体調など気を使うますが、やはりモデルの
> 魅力を最大限に引き出すのは「撮る側」の努力です。同じ条件で

なるほど。。。いろんな考え方があるものですね。
私は衣装、メイクなどもこちらでそろえますし、ポーズのリクエストもある程度だしますが、
最終的にこちらの意図するイメージを、モデルさんが表現してくれなければ、
望む作品は撮れませんので、やはり合作だろうと思ってます。
たまに、意図した以上のものをモデルさんが表現してくれるおかげで、
より良いモノが撮れたりしますし。

> また、ステージ上や多人数でモデルを撮る場合は、まさに瞬間を
> 切り取る事になりますので、より「撮る側」の比重が高くなると
> 思います。

こういう経験は無いのでわかりませんが、カメラマンのためにステージに
居るわけでもないんでしょうから、撮る側の努力が高まるのは確かでしょうね。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9429
投稿日: 2004/11/01(Mon) 10:36
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> フミ さん

はじめまして、フミさんの作品は大好きでブラウザのお気に入りに
アドレスはしっかりと入ってます。

私のポートレイトの撮影は、事前の打ち合わせは衣装替えがあるか
ないか、何点必要か程度で衣装の種類(水着等は別ですが)や色
などは全く指定しませんし、場所なんかも街中のロケで撮ったり
しますので、自分の事前の構想にあてはめていって撮る事はほと
んどないのです。ですからバックやポーズ・表情の指示はその場の
インスピレーション(アドリブ)なのです。

「合作」ではないと言う書き方をしたのは、それを言い出すと
すべての「生き物」を撮るものは「合作」になってしまうからです。
当然モデルさんに対する感謝の気持ちはいっぱいで、その「モデル」
でないと撮れないものが当然あるので、その意味での「合作」で
あれば納得ですよ。

> なるほど。。。いろんな考え方があるものですね。
> 私は衣装、メイクなどもこちらでそろえますし、ポーズのリクエストもある程度だしますが、
> 最終的にこちらの意図するイメージを、モデルさんが表現してくれなければ、
> 望む作品は撮れませんので、やはり合作だろうと思ってます。
> たまに、意図した以上のものをモデルさんが表現してくれるおかげで、
> より良いモノが撮れたりしますし。


タイトルRe^6: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9443
投稿日: 2004/11/01(Mon) 15:11
投稿者フミ
URLhttp://la-belle.or.tv/

--> ぷーさん さん

はじめましてm(__)m

> はじめまして、フミさんの作品は大好きでブラウザのお気に入りに
> アドレスはしっかりと入ってます。

ろくに更新もしない辺境サイトをごらん頂いていたとは恐縮です(_ _(--;(_ _(--;
ぷーさんのサイトにも何度か足を運び、いろんなロケ地や、いろんなモデルさんと、
精力的に撮影されてるなぁ〜と、楽しませていただいてます。

> んどないのです。ですからバックやポーズ・表情の指示はその場の
> インスピレーション(アドリブ)なのです。

私も色々考えていきますが、結局その場ではほとんど忘れるか、
考えたとおりにいかないかで、たいていアドリブになってしまいます(笑)
ロケだと、思ったより人が居るとか、思ったより狭いとか・・・・

> 「合作」ではないと言う書き方をしたのは、それを言い出すと
> すべての「生き物」を撮るものは「合作」になってしまうからです。

確かにそうかもしれませんね。
ワンコやニャンコの写真で、ベストだ!ってのも、被写体あってのものですしね。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9345
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:44
投稿者PKR

--> まさと さん

> 本当の内容は、写真における被写体の重要度の問題です。ある人は、被写体で80%決まるといい、ある人はそれは極論だといいます。
> 被写体が重要である事を否定する人はほとんどいないでしょうが、その重要度の度合いについてはかなり意見が分かれるようです。

意見が分かれる理由として、被写体と撮影技術の線引きが曖昧であることがあるのではないかと思います。
例えば、私は構図を撮影技術だと考えていますが、これを被写体に含めて考える人もいるでしょう。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9357
投稿日: 2004/10/31(Sun) 09:43
投稿者E.L.F

--> まさと さん

> 美人はあくまで、一つのたとえです。美人、つまり美しい風景や決定的瞬間、味わいのある被写体を探し求める事が写真の本質だ、それ以外は二次的問題だ、は本当かというところです。

例えば、まさとさんに秘密の場所を教えてあげるからついてこいといわれて
ご一緒させていただいたとします。確かに圧倒的な風景に出会って感動するでしょう。しかし、まさとさんの三脚にのっかっているカメラの
ファインダーをのぞかせていただいたとしたら、さらに舌を巻くこと
でしょう。なぜなら、私が思いもよらなかったような構図で切り取って
おられるからです。

確かに絵になる被写体を探し求めることに労力を惜しんではなりませんが、
その先の差は微小かということに関しては、やはり疑問が残ります。
その先の差も含めて(もしくは、その先の差こそ)写真家の技量だと
思うからです。


タイトル誤解の元のタイトル
記事No: 9362
投稿日: 2004/10/31(Sun) 10:10
投稿者まさと

--> E.L.F さん

> > 例えば、まさとさんに秘密の場所を教えてあげるからついてこいといわれて
> ご一緒させていただいたとします。確かに圧倒的な風景に出会って感動するでしょう。しかし、まさとさんの三脚にのっかっているカメラの
> ファインダーをのぞかせていただいたとしたら、さらに舌を巻くこと
> でしょう。なぜなら、私が思いもよらなかったような構図で切り取って
> おられるからです。
> > 確かに絵になる被写体を探し求めることに労力を惜しんではなりませんが、
> その先の差は微小かということに関しては、やはり疑問が残ります。
> その先の差も含めて(もしくは、その先の差こそ)写真家の技量だと
> 思うからです。


まさにそこだと思います。写真家の技量の差がその前にあるのか、そのあとにあるのか。もちろん、そのいずれにもあることを否定する人はいないでしょう。ただ私が思うのは、PKRさんの話で言えば構図ですが、構図の更に前の被写体の選択、これも写真家の技量であるばかりか、より本質的な技量ではないかということです。
話が広がりすぎてまた混乱するので、風景に絞りますが、どこでなにをどう撮るかが決まれば、機材やスタイルはおのずと決まります。あとは構図やタイミングですね。もちろん幸運も大事です。
ですが、その選択の段階ですでに基本的なことは必然と決まってしまう。ですから写真家にとってその選択の段階と手段は最大の企業秘密なのだろうと思います。


タイトルRe: 誤解の元のタイトル
記事No: 9366
投稿日: 2004/10/31(Sun) 11:18
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

美人だったら、左、右、中央どこに位置していても、素晴らしい写真が撮れます。さらに改善しようとして、構図を工夫したりするだけです。
 


タイトルRe: 誤解の元のタイトル
記事No: 9367
投稿日: 2004/10/31(Sun) 11:23
投稿者E.L.F

--> まさと さん

> まさにそこだと思います。写真家の技量の差がその前にあるのか、そのあとにあるのか。もちろん、そのいずれにもあることを否定する人はいないでしょう。ただ私が思うのは、PKRさんの話で言えば構図ですが、構図の更に前の被写体の選択、これも写真家の技量であるばかりか、より本質的な技量ではないかということです。
> 話が広がりすぎてまた混乱するので、風景に絞りますが、どこでなにをどう撮るかが決まれば、機材やスタイルはおのずと決まります。あとは構図やタイミングですね。もちろん幸運も大事です。
> ですが、その選択の段階ですでに基本的なことは必然と決まってしまう。ですから写真家にとってその選択の段階と手段は最大の企業秘密なのだろうと思います。

おそらくまさとさんの場合は、最初に写真のイメージありき、それに
合うような場所、季節、天候、時間帯etc.を選択するというスタンスの
ことをおっしゃっているのだと思います。

では、例えを変えて、まさとさんが特に撮影目的ではなく旅行に
行ったとします。そこで「これは写真におさめなければ!」という風景に
偶然出会ったとします。この場合、写真の出来、不出来を左右するのは
やはりまさとさんの写真ライフを通しての過去の成功と失敗の数々などの
経験なのではないでしょうか。
私のような初心者、もしくは、上級者の方でも初心者だった頃を
思い出せば、「はて、どう撮ったものか?」と感じたことや、試行錯誤を
繰り返したり、他人の作品を参考にしてみたり、という経験がない方はほとんどいないと思います。
こういう意味合いにおいてはやはり「そのあと」も重要だと思うのです。

少し書き足りない気はしますが、ひとまずこのへんで。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9386
投稿日: 2004/10/31(Sun) 20:00
投稿者まさと

--> E.L.F さん

> --> まさと さん
> > > まさにそこだと思います。写真家の技量の差がその前にあるの
> > では、例えを変えて、まさとさんが特に撮影目的ではなく旅行に
> 行ったとします。そこで「これは写真におさめなければ!」という風景に
> 偶然出会ったとします。この場合、写真の出来、不出来を左右するのは
> やはりまさとさんの写真ライフを通しての過去の成功と失敗の数々などの
> 経験なのではないでしょうか。


全くその通りだと思います。偶然であった景色やモチーフであっても、すでに心の中で探し求めていたものに触れるからこそ、目にとまるわけです。ですから同じ物を見ても、人によって全く違う写真が出来上がるのでしょう。同じ物を見ても、そこに見出すものが違うわけですから。
写真の場合、我々のような素人でも人の胸を打つものが出来る可能性が高いのも、その事と関係していると思います。
つまり、その心の中で探し求めていることがすでに写真のはじまりであり、おそらく、もっとも重要な要素ではないかとおもうわけです。
素材を探すとは、自然やモデルを実際に探す事も含め、心の中でそのことを追及するという意味が大きいでしょう。
そして両者は深く関連しています。なぜなら、外に求める素材は、すでに自分の中で求めているものによって決まるからです。たとえ、それを意識していなかったとしてもです。その上で技術を磨くのは当然ですし、必要な機材を揃えるのも重要です。それによって選択の自由の幅が広がります。
まあ、自分で気に入った写真の多くが、昔IXYで何の作為もなく撮ったものだったりするのも皮肉ですが。

実はこのような書き込みをするのは初めてで慣れておらず、ご迷惑をおかけしているかもしれません。また、写真も全くの素人ですが、経験ある方たちの大変有意義なご意見を聞かせていただいたり、議論をさせていただき感謝しております。なにより、こういった場を提供してくださっている管理人様には心より感謝しております。素晴らしいサイトだと思いますので、こんごとも頑張って下さい。


タイトルRe: 素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9387
投稿日: 2004/10/31(Sun) 20:21
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

写真は、被写体を探すだけでなく、作り出してもかまいません。

 作為がなく、自然に撮れてもいいし、作為があってもいいです。
 写真家は、写真を芸術の表現手段として作品を撮影・制作するという活動を行っています。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9388
投稿日: 2004/10/31(Sun) 21:00
投稿者まさと

--> 雅巳 さん

> --> まさと さん
> > 写真は、被写体を探すだけでなく、作り出してもかまいません。
> >  作為がなく、自然に撮れてもいいし、作為があってもいいです。
>  写真家は、写真を芸術の表現手段として作品を撮影・制作するという活動を行っています。

なるほど、おっしゃることはわかる気がします。自分はポートレーの経験がほとんどなく、苦手なのも自覚しています。
以前、今は居ない元妻に、おまえは写真の以前に相手との間合いや会話をかんがえたほうがいい、私は花や自然ではないといわれた事があります。そのとうりだろうと思います。雅巳さんやぷーさんのご意見はその意味で自分にとって大変新鮮で、大変考えさせられるものがあります。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9375
投稿日: 2004/10/31(Sun) 14:35
投稿者藤田 小太郎

--> まさと さん

> 美人はあくまで、一つのたとえです。美人、つまり美しい風景や決定的瞬間、味わいのある被写体を探し求める事が写真の本質だ、それ以外は二次的問題だ、は本当かというところです。

この定義であれば、答えはイエスです。
普段見慣れているはずの景色の中や、普段見慣れているはずの人物のなかに、誰も見たことのないような味わいや美しさを見つけ出すこと。機材ではカバーできない領域です。どんなに優れた機材を使用しようと、撮れる時は撮れるし、撮れない時は撮れない。写真の本質のひとつだと思います。
機材でカバーしていく方法もありだとは思いますが、撮りたいものが撮れないことを、機材のせいにするのは、個人的にはどうかなと。
すばらしい瞬間や、味わい、美しさを見つけることはできるのですが、肝心のカメラがない・・・、なんてことになってばかりなので、いつかはそれらを撮れるようになりたいですね。
それでは。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9337
投稿日: 2004/10/31(Sun) 05:35
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

> 私は本当だと思います。さまざまな意見があり、それはそれで大変学ぶ
> ところの多いものです。よろしければ皆さんの御意見を。

美人なだけでなく、性格も明るい感じのほうがより望ましいと思います。 ぼくの場合、日本女性でなく、外人金髪女性を撮ります。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9340
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:14
投稿者まさと

--> 雅巳 さん

ホームページのお写真は論より証拠。美しく、また珍しい花々とこの上ない美人。いい環境をお持ちですね。うらやましいです。どちらでしょうか。オランダでしょうか。


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9342
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:32
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

花や外人女性の写真は、日本で撮りました。

花は、自宅の庭などで撮りました。

外人女性は、自宅近くの植物園での撮影会で撮ったものです。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9343
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:38
投稿者まさと

--> 雅巳 さん

> --> まさと さん
> > 花や外人女性の写真は、日本で撮りました。
> > 花は、自宅の庭などで撮りました。
> > 外人女性は、自宅近くの植物園での撮影会で撮ったものです。

そうですか。えらい美人の彼女をお持ちで羨ましいなあと思ってしまいました。年代物のマックも大切にお使いですね。


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9347
投稿日: 2004/10/31(Sun) 07:49
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

> --> 雅巳 さん
>
> そうですか。えらい美人の彼女をお持ちで羨ましいなあと思ってしまいました。年代物のマックも大切にお使いですね。

自分の彼女に見えるように思われて、とてもうれしいです。ポートレートは自分の彼女と誤解されるくらいの写真がいいと思います。それから、ポートレートの場合は、ソフトフォーカスのフィルタは、いっさい使わず、ストレートで勝負します。本当の美人なら、ストレートで勝負できます。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9351
投稿日: 2004/10/31(Sun) 09:00
投稿者まさと

--> 雅巳 さん
おっしゃることに賛成ですね。自分の彼女のように見えることとはモデルとの精神的な距離の問題でしょう。写真の好みの問題もあるでしょうが、多くの商業写真家が、完璧なモデルで完璧なメイクや照明で撮ったものでも、おもしろくはないのと同じです。もちろん、そういった場合、全然別の目的で撮っているわけですので写真家のせいではありませんが。ですが、モデルの人間性を感じるような写真が魅力的なのは確かで、この対象との精神的距離の問題は恐らく風景にもあてはまるかもしれません。


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9356
投稿日: 2004/10/31(Sun) 09:24
投稿者雅巳
URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/kmasa/

--> まさと さん

女性ファッション雑誌では、野球場や海岸などに行って、できるだけ、自然な感じに撮っている写真が多いと思います。

 それから、自然な表情作りですが、女性はモータドライブの連写のフィルム巻き上げ音やシャッター音で興奮します。しまいには、自ら要求もせずにパラリと脱いじゃう場合もあります。できれば、デジタル一眼レフカメラよりも、モータドライブ付きのフィルム一眼レフカメラのほうが表情作りには、向いていると思います。
 フィルムをケチらないことも大切なことです。ぼくの女性ポートレートは、1枚あたりのフィルムコストは、かなりかかっています(^^;


タイトルRe^4: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9369
投稿日: 2004/10/31(Sun) 12:56
投稿者惑星

> 女性ファッション雑誌では、野球場や海岸などに行って、できるだけ、自然な感じに撮っている写真が多いと思います。

 この部分だけ、反応

以前は撮影場所に許可をもらって、何がしかの許可料を払って撮影するのが主でしたが、最近は許可料が法外な値段(1時間数万とか)になってしまいましたので、許可や料金の要らない場所で撮影するか、ゲリラ的に撮影するのが多くなりました。

場所と、モデルが伸びやかにというのは全く別の話しですので、それらは分けて考えてくださいね。


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9391
投稿日: 2004/10/31(Sun) 22:23
投稿者*改めほし

--> まさと さん

長文失礼

一通りやりとりに目を通させて頂きました。
正直申しまして、結局は私の主張とあまり変わらないような気がします(笑)。
要は表現が違うだけで。。。

> 素材を探すとは、自然やモデルを実際に探す事も含め、
> 心の中でそのことを追及するという意味が大きいでしょう。
> そして両者は深く関連しています。なぜなら、外に求める素材は、
> すでに自分の中で求めているものによって決まるからです。

被写体被写体と言っても、上記の通り自分の中で作り上げた「絵」に
合致するような被写体を探しに行くのでしょ?
私の主張というのは、その心に描く「絵」が重要ということですよ。

あとは、別スレにてハイフェッツさんが最後にコメントされていたように、
ハイフェッツさんもまさとさんも、風景写真をメインとされているために
起こった誤解(というかスレ違い?)なのだと思います。
でもそれは、もしかしてそういう認識の違いがあるのかも、
という危険性については、実は以下の通り、既にハイフェッツさんに
対する最初の私のレスで述べていたことでもあります。

「しかし、もしかして結局、ハイフェッツさんも恐らくは同じ事を
言わんとしているのかもしれないという気もしてきました。
私は被写体を単に「素材」として捉えておりますが、
ハイフェッツさんは、もしかして
美しさを感じ取って、例えば構図等含め、こう撮ろうと決まった
後のフレームの中に写っている映像のことを「被写体」
と言っているのかもしれませんね。
だとしたら、私の意見はハイフェッツさんのそれと、たいして
違いが無いのかもしれません。 」
参照レス↓


但し若干違うのは、どうやらハイフェッツさんもまさとさんも、
現場に向かう前から、現場で感じられる美しさを事前にイメージ
できているということでしょうか。。。
(でも、そうであれば、必ず一度は以前いったことのある場所でなければ
撮影になりませんね?)

ちなみに私はスナップとポートレート(といっても我が子ですが-苦笑)
が中心です。
スナップのポートレートも、その現場において、自分がいかに
感じたか、どうインスピレーションが閃いたか、
そしてそれをどう表現するか(←ここが撮影技術)だと思います。
つまり、素材を目の前にしてから「絵」を創り上げるか、
事前に作り上げているかの違いです。

ジャズの即興演奏のような面白さか、
クラッシックの予定調和の上に紡ぎ上げられた美しさか、
のような違いです。どちらも音楽です。
ですがアプローチが全く違います。
しかし、演奏家が心に抱くイメージを具現化しようと
することに、違いはありません。
"Pathetique"という曲というスコア(楽譜)は大事ですが
指揮者によって全然違う曲になります。
風景写真だって同じことでしょう?

つまり、結局は絵心、歌心(音楽の場合)が
素材よりもずっと重要だ、というのが
私の主張です。
風景メインの方は、自分の絵心に適う被写体を探すことが、
段取りとして重要になるというだけの話だと思います。

これもまさとさんご自身が別スレで説明されていたように、
素晴らしい夕景がそこにあるからといって、絵心が
なければ美しい絵は撮れないんですよ。
その地元の人は、まさとさんに絵心があったからこそ
まさとさんの写真によって地元の夕日の美しさに
気付かされたのだと思います。

+ + + + +

ところで、たんなる誤謬かもしれませんが、以下のような
コメントは、しかし少し反発を感じますね。

> 機械や技術的な追及の熱心さにくらべて、被写体の追及の熱心さはずんぶんと少ない場合があるという気はします。

何をもってそう一般論として判断されるのかが先ず理解できませんが、
もともとが私とのやり取りでこのスレを立てられたので、当方への
批判であると受け止めました。
よく私のレスをお読みになればわかると思いますが、当方は機材や撮影技術のことは
ほとんど触れずに論を進めて来ていました。
また、被写体の追求に熱心で無いような物言いも心外ですね。
上述の通り、事前に自分の望む通りの被写体を求めるのがまさとさんのスタイルならば、
私は目の前の被写体の美しさ、輝き、面白さ、等々、被写体の持つものを
如何に引き出すのか、ということを重要視しており、その被写体に出くわしたときの
観察力とインスピレーションが極めて重要になります。
これも、被写体を追求することと同じでは無いのですか?(スタイルが違うだけ)

> 多くの人は、写真家とはただシャッターを押すだけということに耐えられないのでしょう。誇りがゆるさないのです。ですが、被写体はなんでも、そこに自分を表現する何かを見つけるという意見には、人間の傲慢ささえ感じます。

暴論ですね。何をどうひねくれ考えたらそのような理屈になるのかが理解できません。
それに、種々雑多な素材を与えられ、その素材の良さを活かすという手法と、
最初から自分のイメージ(=自分を表現する何か)ありきで、そのイメージに当てはめるための被写体を選ぶのと、
いったいどちらが傲慢なんでしょうかね。

> 私達はただ見つけ、出会いの幸運に感謝しつつ身を任せる、つまりシャッターを押す、ということではないでしょうか。
ですから、プロとアマの差は、得られる被写体の差、ポートレーなど条件をいじれる場合は、ライティングや設定の知識と設備の差、それ以外はごく僅かの差と断言していいと思います。

私はハナからプロとアマの差など論じておりません。
但し、まさとさんが撮られる、コスタリカの夜景やシナイの日没と、
プロ(これも群百なので千差万別ですが)、そして私が撮る同じ被写体と、
間違いなく全く違った絵になることだけは断言できます。
そして、その中には、恐らくまさとさんご自身が、打ちのめされるような
素晴らしい、そして優れたアイデアを感じさせる絵があることでしょう。
「これが同じ場所で同じ時間に撮った写真か!」と。

同じ被写体があったときに20%(100-80)しか違わない写真しか撮れないなんて
そんなツマンナイもんじゃないでしょ?写真って。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9413
投稿日: 2004/11/01(Mon) 03:36
投稿者
URLhttp://www.geocities.jp/kaori_atusi/

--> *改めほし さん

> --> まさと さん
>
> 長文失礼

 一度このスレッドに参加しようと思って、
一通り書いてから止めたのですが、
*改め星さんの書き込みを拝読していて、
やっぱり復活させる気になってしまいました(^-^;)>゛゛゛
(よって、一部引用がありますが、
スレッド内の場所がズレているのはご容赦下さいませm(_ _)m。
『追記』と書かれた部分は、今回書き足したおまけです)。
 しかし35F1.4と85F1.2のスレッドを、
見ていた時も思ったんですが、
全く正反対のカウンター意見にウンウン頷く時程、
掲示板で遣り取りをしていて楽しいことってありませんよね(笑)。
まあ結局、
他の方々が書かれている内容とそれなりに被るんでしょうが、
私なりの論点(視点)、論述でということで‥‥。
 あ、長いです──m(_ _)m゛゛。

−−−−−−−以下復活した文面

--> まさと さん

 写真教室的な所も、様々なスタイルがあるのでしょうが、
私の地元の写真屋さん主宰の撮影会(まあ風景系ですが)では、

1)取り敢えず景色のいいところに連れていってくれる。
2)ここがポイントやで〜と教えてくれる。
3)必要なら(請われたら)、ファインダーを覗いて何が邪魔かアドバイスをくれる。
4)勉強会があるならば、その写真のいいところとどうすればより良いかを、
アドバイスしたり評論し合う。

 まあこんな感じでしたでしょうか。
これはまあ、写真に熱心な店員さんが付いていても、
プロのカメラマンさんが付いていても、
そんなにやるこた変わらなかったかと思います。
でも、『何を撮れ』とは、決して言いません。
なぜなら、それこそがカメラマンの決めるべき事だからです。
 では、美人や(多くの人が言う)美しい風景こそが、
唯一究極の被写体なのか?
同じ美しいとされる風景を見て、
同じ切り取りをする人はかなり少ないと思います。
少なくとも、私自身は、
その様な場面に出くわしたことは一度もありません。
結局、『何が美しいと感じるのか』は人それぞれだからです
(そういう意味では、同じところで同じ方向にレンズを向けると、
『同じ写真撮るなや!』と叫ぶのはちょっと‥‥(-_-:) )。
 現にドブの中の雑草の写真を熱心に撮る人は少ないですが、
私は撮ります(笑)。
その写真を見て、
他の方も美しいと感じるかは知りませんが──(T_T)〜。
※)追記しておきますと、私が『目で見て』美しいと感じる風景も、
『写真に撮ると』電線が邪魔!っていう風景は、幾らでもありますよ。
美しい風景が、写真向けの風景という訳ですらありません。
でも写真向けではない風景も、人間の眼には美しいのです。
花も人も同じこと。

 ここで話の方向性を変えまして、
女性の写真を撮るとします。
『美人』と言われている人の方が、『美人』に撮れる率は高いでしょう。
でも、何回かモデル撮影をやってみると判りますが、
どんな美人だと思っていても、思わず笑い転げてしまう写真に、
写ってしまうことがあります
(動作の途中とか、瞬き加減とかで(T_T)〜)。
 それに、どうしてもその人が美しく写らない角度というものは、
あるものです(苦笑)。
逆にあんまり美人でないと思われている人でも、
どこかにハッとする角度があったりするものです
(例えそれが後ろ姿だったとしても‥‥。大汗)。
 実のところ、普段見ていて顔立ちが美しいと感じている女性でも、
結構髪形で顔の輪郭のイメージを操作していたりするものです。
要するに、誰がどう撮っても美しい被写体なんて言うものはまず無く、
幻想が混じっている訳です
(風景なんて、特にそうですが。季節や光線で別物になります)。

 だから、『美人を連れてくる』んではなくって、
『“自分にとっての”美人を見極める(美しく撮れるものを選択する)』
と捉えるのが、ある意味正解なのかもしれませんね。
 でも結局、自分で見つけ出した被写体を、
一番魅力的に写し取るには、
その被写体の一番魅力的なのはどの様な角度(撮り方)なのかを、
見極める眼力(技術)は確実に必要なんですが‥‥。
 『俺は美人を連れてきたのに、写っているのはブスだった』と言うのは、
撮影者の技量と捉えていいと思います。
あれ?
なんだ、結局大切なのは技量なのかな(大汗)?!
 但し最近では必要な技量は、
カメラの自動化の進展のお蔭で、
『綺麗に写せる被写体を見極め(光線状態を含む)、
必要なトリミング(撮影位置を含む)を行う能力があること』だけで、
事足りるようになってきましたが──。
依頼写真を確実にこなす為には、
絶対的な技術のバックアップが必要ですけれどもね。

 どこからどこまでを技術と呼ぶかにも依る、
というご意見がありましたが、まったくご尤もですね──。
そして私には、全ては技術と呼ぶべきものだと思います。
モデルさんを口説くのも(それが事務所との金銭契約だとしても)、
技術の内でしょう?
初心者は、モデル事務所の存在すら知らないかもしれません(大汗)。
 でも、撮影結果を支えるのはセンスなんですが‥‥。
技術は、センスを支えるものだと思います。

※)追記。
 『美しい』モデルさんも、
モデルとしての技量が低かったりすると、
なかなか『綺麗に撮らせてくれません』
(不慣れな人は表情取るのが大変です)。
『美人』と『美人で技量の整ったモデル』とはイコールなのでしょうかね?
 これは風光明媚でゴミの多い観光地と置き換えると、
風景系の方には判り易いかも?
風景は涎が出る程綺麗でも、ゴミが画面の済に転がっていると、
写真は台無しです(こういうのって、人間の眼は無視するんですよね)。
手近なゴミは撮影者自身に拾うことが可能ですが、
美しい風景を手に入れた時点で勝ちと言うのと、
撮影者の掃除が必要(これは明確に撮影者の技量の内です)というのでは、
全然違います。
 判り易い解答を書かないと判らない人も多いので
(そう言う人が良く『何が言いたいのか判らない』と、
文句を書いて来られるもので(^-^;)゛゛)、
自分で書いた内容を改めて分析直して直截に書いちゃいますが、
結局写真は98パーセント撮影者の技量で、
でも『美しく撮り得る被写体』は、
『写真の成立に必須である』って言うこと何じゃないでしょうかね?
 しかしその『美しく撮り得る被写体』って言うのは、
決して『誰が見ても美しい』というものである必要も、
必然も無さそうです。
 そこから『美』を見極めるのが撮影者の技量であると、
単純に結論付けるとしたら、
やはり『美人を探せ』っていうのは、
かなり妥協的で厭味っぽい意見だったという見方も‥‥
(でも元発言のプロカメラマンさんと言う人はきっと、
単純に『あんたは美人を撮ってないから文句があるんだったら、
美人連れてきた方が早いよ』と言ったんだろうなーと、
いう気がしています。笑)。
 (ここからは、
プロはいい撮影場所を教えないという意見に対するフォロー)
 正直、調理法を知らない人に美味しい竹の子を渡したって、
プロの料理人は全く恐れる必要はありませんよね。
撮影ポイントを教えてくれないプロカメラマンがもし居るとしたら、
よっぽど自分の腕に自信が無いのか、
それとももっと切実に、素晴らしいポイントでの撮影を、
誰かに邪魔されたくないだけなんじゃないですかね
(幅五メートルのポイントに、
三十名のカメラマンは並べないでしょう?)?
前者のプロは居ないことを祈っておりますが、
我々アマチュアとしては後者のプロに、
『あなたは大丈夫』と認められるよう努力したいものです(^-^)!!
結局技量以前に、マナーの問題が問われるような気もしますが──(-_-:)。


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9415
投稿日: 2004/11/01(Mon) 04:09
投稿者*改めほし

--> 香織淳士 さん

> 現にドブの中の雑草の写真を熱心に撮る人は少ないですが、
> 私は撮ります(笑)。

まじめレス
仏教をちょっとでもかじった事があるならば常識の範疇かと思いますが。
仏像がどしんと載っかっている台座部分の花、あれ蓮の花ですね。
何故蓮かというと、仏教では蓮の花が非常に大切に扱われているからです。
何故大切にされているかというと、蓮が生えている場所は泥水の中だからなんですね。
泥の中にも関わらず、そこに生える可憐で美しい一輪の花。
つまり、苦しみや煩悩に渦巻く世のなかにあっても、
真理に到達し得る(=悟りに達する)という表徴ですな。

泥が汚いものにしか見えない。
逆に言えば、誰もが美人と考えるような美人からしか
美しいものを見いだせない(発見し表現することができない)
なんて、はっきりいって「開き盲」だと思います。


タイトルRe^4: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9418
投稿日: 2004/11/01(Mon) 05:22
投稿者ハイフェッツ

--> 香織淳士さん、*改めほしさん

私は、被写体よりも感性や技量や表現が重要という一点だけは、すくなくとも風景写真においては否定します。

風景写真の中でも、私が撮りたいと思う風景写真はいわゆる「絵葉書写真」なのですが、絶対に被写体が最重要です。
「絵葉書写真」は個性の無い写真を蔑視する時に使われる言葉ですが、私は最も完成された風景写真だと思います。そういう意味で私にとっては一度は撮ってみたい写真です。
その撮影は困難で、私のような趣味で写真をやってるサラリーマンには5年たっても10年たっても、本当に「絵葉書」に出来るような写真は撮れません。
それは撮影技術や感性の問題ではなく、そういう被写体にめぐり合えないからです。実際、プロであっても撮影には何年もかかると思います。
風景写真は今やイメージ写真が主流ですが、これは「絵葉書写真」の撮影が趣味でやっている者には困難すぎて面白くないからだと思います。
紅葉を撮影するために1〜2ヶ月間、会社を休んでいいなら撮れるかもしれません。でもそれは状況が許してくれません。

香織淳士さん、*改めほしさんが主に撮影されている写真は、「こうじゃないとダメ」っていうのが少ないのでは無いかと思います。
自分の思うように画作りし、自分の感性や表現をそこに織り込む。
でも風景写真、とくに完成された「絵葉書写真」は、こうじゃないとダメっていうのがあります。
たとえばスイスの山の写真、曇っていたらその時点でダメです。見る人が、晴れた空と山頂に雪をいただく山を期待するからです。
風景写真にはそういうふうな、写真を見る人の(暗黙の)期待があるんですよ。
菜の花は黄色く、空は青く、木々は鮮やかな緑、夕焼けは燃えるような赤、そういう約束を外してしまってはダメなんです。(電線なんて論外!)
私がダメって言ってるんじゃないですよ。一般の人の多くがそういう物を期待しているという意味です。自然が相手なのに、被写体がそんなにいつもいつも都合良く最高の条件である訳が無く、そこに風景撮影の苦労があります。

絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9420
投稿日: 2004/11/01(Mon) 06:35
投稿者まさと

--> ハイフェッツ さん

> --> 香織淳士さん、*改めほしさん
> > 私は、被写体よりも感性や技量や表現が重要という一点だけは、すくなくとも風景写真においては否定します。
> > 風景写真の中でも、私が撮りたいと思う風景写真はいわゆる「絵葉書写真」なのですが、絶対に被写体が最重要です。
> 「絵葉書写真」は個性の無い写真を蔑視する時に使われる言葉ですが、私は最も完成された風景写真だと思います。そういう意味で私にとっては一度は撮ってみたい写真です。
> その撮影は困難で、私のような趣味で写真をやってるサラリーマンには5年たっても10年たっても、本当に「絵葉書」に出来るような写真は撮れません。
> それは撮影技術や感性の問題ではなく、そういう被写体にめぐり合えないからです。実際、プロであっても撮影には何年もかかると思います。
> 風景写真は今やイメージ写真が主流ですが、これは「絵葉書写真」の撮影が趣味でやっている者には困難すぎて面白くないからだと思います。
> 紅葉を撮影するために1〜2ヶ月間、会社を休んでいいなら撮れるかもしれません。でもそれは状況が許してくれません。
> > 香織淳士さん、*改めほしさんが主に撮影されている写真は、「こうじゃないとダメ」っていうのが少ないのでは無いかと思います。
> 自分の思うように画作りし、自分の感性や表現をそこに織り込む。
> でも風景写真、とくに完成された「絵葉書写真」は、こうじゃないとダメっていうのがあります。
> たとえばスイスの山の写真、曇っていたらその時点でダメです。見る人が、晴れた空と山頂に雪をいただく山を期待するからです。
> 風景写真にはそういうふうな、写真を見る人の(暗黙の)期待があるんですよ。
> 菜の花は黄色く、空は青く、木々は鮮やかな緑、夕焼けは燃えるような赤、そういう約束を外してしまってはダメなんです。(電線なんて論外!)
> 私がダメって言ってるんじゃないですよ。一般の人の多くがそういう物を期待しているという意味です。自然が相手なのに、被写体がそんなにいつもいつも都合良く最高の条件である訳が無く、そこに風景撮影の苦労があります。
> > 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。

私はアルプス山域に20年近く住んでおりまして、もちろんさまざまな風景を目にします。決定的なのが天気。そして季節。もちろん場所と時間帯。今年は夏から天気が悪く、撮影に向いた日はほとんど無い。たまに晴れてもその日は仕事。仕事の合間に夕日が、カメラを構える間に日が落ちたり雲がでたり、、、、。
山を撮るといっても、ここだと綺麗だがこの季節は逆光になる。あそこならいい光加減だが、たどり着くまで5時間も歩かないといけない。明日は仕事だし無理したくないし。それでも行ってみると予定より早く天気が崩れ雲が出てしまった。
でもここにいる自分はまだいい。仕事でテレビや雑誌の取材のお手伝いをすることも。でも一週間の滞在で晴れは一度もナシ。それでも日程は変更できません。全員のホテルや飛行機、食事、車、ガイド、、、、一体いくらになるのやら他人事であっても考えたくもありません。。
先日は列車に乗ると、はるばる日本から、どこかのテレビの取材で近所の鉄道を撮る為の撮影隊が。でもその時は運悪く、なんと大洪水で列車は一部不通。結局その洪水の様を写して放送されたようです。
金をもらうプロであるから最高の瞬間に立ち会えるとはかぎりません。いやむしろ、限られた時間とはいえ、出資者を気にすることなく、自分の都合で自分の金で自分の日程を立てられる私のようなど素人のほうが有利なのではないかとさえ思います。
こういったことは一つの例にすぎませんが、これまでの意見はそういった体験をふまえた、私の率直な感想です。


タイトルRe: 素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9430
投稿日: 2004/11/01(Mon) 10:42
投稿者*改めほし

--> まさと さん

私は初めてのヨーロッパ(スイス)旅行に赴くに際し、初めての
一眼レフを購入しました。
セットで付いてきたズームレンズに、付け足して買った50mm/F1.8。
そして、その旅行中にすっかり写真の楽しさを覚えました。

天気の重要さ。よくわかりますよ。
4日間のツェルマットの滞在期間中、朝日をうけたマッターホルン
を撮影しようとするのですが、毎朝朝霧に曇り全く辺りは真っ白。
昼はピーカンなんですけどね。
ツェルマットを去る当日の朝に見事に晴れ渡り、おかげで
綺麗な、紅に染まるマッターホルンを写真に収めることができました。
これは、嬉しかったですねぇ。

その他に、ベルンやグリンデルワルトやルツェルン、そして
チューリヒを廻りましたが、幸い初日(チューリヒ→ツェルマット
の移動日)だけ、雨にたたられましたが、他はよく晴れ、
ハイキングと写真撮影を満喫することができました。
帰国してから色々聴くと、天気の当たり外れ、結構大きいようで
私はかなりラッキーであったということを思い知りました。

ところで、感動して景色の写真を撮りまくったのですけれども
帰国して現像してみると、雄大な、いわゆる絶景ポイント(絵葉書的な)
ほど、ツマンナイんですよね。私にとっては。
なんだ、これだったら絵葉書やプロの写真集でも買った方がいいや。
とね。
自分で受けた感動が、何かこう、上手く写し取れていないんですよ。
観光案内や絵葉書的な写真では。
感動が陳腐化してしまう、と言ってもいい。
寧ろ、マッターホルンをバックに(ちょっとぼかして)山小屋の
窓に懸かる花を主題に写したり、とか。
テラスのテーブルの上に止まったスズメの写真とか、
そうした、スナップ的なものの方が、ずっと旅行の感動が
蘇るというか、少なくとも臨場感はずっと表現ができていました。

それからですね。私がスナップ派になったのは。
風景写真も、ですから、少なくとも私的には、
できるだけ私独自の視点、私独自の切り取り方、で
表現できるよう心掛けるようなりました。

ま、人それぞれですが。

ちなみに、その旅行中に、ズームよりも
単焦点の方が楽しい、と実感し、単焦点派になって
帰って来ました(笑)


タイトルまさとさんご自身が、技量こそは大事だと主張されているように感じます(大汗)
記事No: 9457
投稿日: 2004/11/01(Mon) 18:14
投稿者
URLhttp://www.geocities.jp/kaori_atusi/

--> *改めほし さん

> --> まさと さん

> ところで、感動して景色の写真を撮りまくったのですけれども
> 帰国して現像してみると、雄大な、いわゆる絶景ポイント(絵葉書的な)
> ほど、ツマンナイんですよね。私にとっては。
> なんだ、これだったら絵葉書やプロの写真集でも買った方がいいや。
> とね。
> 自分で受けた感動が、何かこう、上手く写し取れていないんですよ。
> 観光案内や絵葉書的な写真では。
> 感動が陳腐化してしまう、と言ってもいい。

 私の意見は、この辺逆でして、
『絵葉書写真』を撮れる人は、物凄いと思っています。
少なくとも私は、今まで一度も絵葉書写真的な写真を撮ろうとして、
成功した試しはありません(少なくとも観光地の目玉風景、
まさとさんがターゲットとされるような所では)。
 ただ、逆にまさとさんの書かれている内容を見て思いました。
そこに書かれている内容は、
『美人』とか『美しい風景を選ぶこと』ではなく、
全て明らかに『テクニック』の部類だと思います。

 先にお題を決めて、それを目当てのイメージ通りに撮るのって、
物凄く難しい訳ですよ。
その被写体が魅力的でない理由を数え上げ、
それを粗方自分の意志で回避出来るだけの眼力と能力があるとしたら、
それはもうその時点で技量的には、プロ級だと思います。
 はっきり言って、
たまたま見つけ出した『瑕疵の無い被写体』を撮る方が、
予め題材の決まっている写真を撮るよりも圧倒的に楽なんですよね。
それでも敢えて、『美人』や『美しい筈の風景』を持って来て、
これの写真を撮る。
 奇しくもまさとさんご自身がご指摘されている通り、
『美人を連れてくる』のは写真撮影の『前提』や『始まり』でしかなく
(被写体無くしては写真は撮れません)、
それを『美しく』収めるためには、
途轍もない撮影者の技量と、瑕疵を見抜く眼力が必要になります。

 でも、これで個人的には、一つはっきりした気がしますね──。
有名景勝地という『超美人』を連れてくるよりも、
やっぱり『自分にとっての美人』を連れてくる方が早い訳です。
美人を見抜く技量(光線や雲を見抜く技量)の無い奴には、
『美人の写真』も得られないと言う意味では、
まさとさんも含めて実は全員同意しているような気がします(笑)。
 あとは美人を見抜く『技量』を、
技術側に入れるか、被写体側の得点に入れるか、だけですね。
『技量』と言った時点で、
被写体側の得点に入れるのには抵抗がありますが──。

 正直、被写体の『状況』に対して、
これだけシビアな見解を述べられるまさとさんが、
『美人さえ連れてくれば80%は決まる』と主張され続ける理由が、
私にはとんと理解出来ませんね(?_?)?
 普通『綺麗な風景』とか『美人』とか言うときは、
天候なんてお構いなく、
景勝地そのものを指すでしょう?
『美人』を連れてきたって、
十人のアマチュアカメラマンを並べたら、
三人位はブスに写った写真を撮っちゃうと思いますよ?
人間を『美人』に写すのは、実の所結構難しいんですから、
相手がそれこそ美人でもね──。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9422
投稿日: 2004/11/01(Mon) 07:38
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> ハイフェッツ さん

風景の一番素晴らしい状況を認識して、妥協を許さないのは
これはカメラマンの感性の問題で「被写体」の問題ではないと
思いますよ。

追い求めても出会えない風景、一生に一度あるかないかのチャンス
と言うのは分かりますが、それを「狙って」撮りに行く事は、すでに
その人の「スキル(技量)」の内です。

私ら、ポートレイトを撮る人間とハイフェッツさんやまさとさんの
意見がかみ合わないのは、カメラを構える前からの話と後の話が
ゴチャゴチャになっているからだと思います。

ポートレイトの場合はモデルを選ぶ事は「スキル」の内なのですが
あまり重要視されませんねぇ(笑)

> 私がダメって言ってるんじゃないですよ。一般の人の多くがそういう物を期待しているという意味です。自然が相手なのに、被写体がそんなにいつもいつも都合良く最高の条件である訳が無く、そこに風景撮影の苦労があります。
>
> 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9424
投稿日: 2004/11/01(Mon) 09:45
投稿者*改めほし

--> ハイフェッツ さん

> 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。

いいかげんにしてくださいな(苦笑)
だから、被写体が重要ではないなんて一言も言っていないではないですか。。。
あとは、ぷーさんの言う通り。(というか、同じ事を私も一つ前のレスで言っている)

最初に言ったことでもあるのですが、
ハイフェッツさんとあまり違わないと思いますよ。
スタイル(アプローチ)が違うだけで。

その絵葉書風景を心に浮かべているということが
もう「絵心」でしょーが(苦笑)


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9437
投稿日: 2004/11/01(Mon) 13:23
投稿者らんせ

--> ハイフェッツ さん

> 私は、被写体よりも感性や技量や表現が重要という一点だけは、すくなくとも風景写真においては否定します。

まずここで風景写真に絞られ

> 風景写真の中でも、私が撮りたいと思う風景写真はいわゆる「絵葉書写真」なのですが、絶対に被写体が最重要です。

絵葉書写真に絞られていますよね。

ある特定分野においては被写体が重要になるのはみなさん認められていらっしゃるように思います。

ヴィトンのバックが欲しいのにグッチのバックは意味をなさないように決めうちで狙ったものがあるという特定の条件がある写真ってことですよね。


> 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。

そういう思慮ができるのでしたらどうぞプロや写真を一つの道として日々研鑚されている方々の苦労も御思いになられて、”写真”は被写体8割だなんて極論を貫く必要もないと思いますよ。

まぁ、一つ一つに感想をぶつけていくと私の考えが伝わらない気がしますので。

ハイフェッツさんの写真技術がどうかは分かりませんが、素人が素晴らしい被写体にめぐり合って手にしたカメラで写したとします。

カメラの性能は関係ないっていうことですから銀塩のKissくらいなら最低限の性能を有しているでしょう。
これで撮影した場合、

1.被写体を低い視野率で捕らえるわけですから余計なものが写り込む可能性があります。(腕がなければ尚の事です)
2.構図の基本を知らなければ空と地面の半分に分かれた写真になる可能性大です。(風景写真って簡単なように言いますが主眼を何処においてバランスを取るか等考えないと本当につまらないものになりません?)
3.空と簡単に言っても真っ青な空って被写体としてつまらないものです。雲の絶妙なバランスの位置を選んで撮影する必要がでそうです。
4.光線状態で一つの風景でも大きな違いが写真になるとでます。見て綺麗な風景と写真になった風景でラチチュードの関係から見たまま写す事は困難な為それなりの知識技術がなければ撮影結果に差は大きくでます。

等々・・・きりがないのでこのへんで。

スイスの風景という事で手元にある絵葉書を観て自分が撮る場合を想定して書いてみました。

写真については私より技術的に勉強不足かな(というか興味薄し(^^;)という彼女に聞いたところ分からないと言ってましたし、こういう風に気をつけなきゃいけないねって教えたところ関心してましたから技術関係無しってのは逆に

> 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。

上記の風景写真を撮っている人に失礼なんじゃないかなと思いました。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9475
投稿日: 2004/11/01(Mon) 22:47
投稿者yamadori

--> ハイフェッツ さん

この話題とても関心をもって見てたのですが、要するに
優れた写真にとって、より重要なのは、優れた被写体か、優れた感性(絵心)か、
なのかなと感じました。既に*改めほしさんらがまとめて下さっているように、
どちらも必要、相乗効果でより良い作品が生まれる、
のだと思います。

私自身地元の山の風景をテーマに撮っていまして、良い被写体の重要性は、
よく認識しているつもりです。
ですが、こうじゃないとダメっていう撮り方は驚きでした。
人のスタイルですから、自由なんですけど、私とは全く
スタンスが違うのだなと。批判ではないですよ。

私は人に見せた時に、その風景自体の素晴らしさより、
その風景に魅せられた「自分の感動」が伝わる写真を撮りたいと
思っています。うまく言えないのですが、被写体を通して自分自身を
表現したい、というような・・・。あと、見る人の期待を裏切るのも、
結構好きです。(山岳風景の個展に来てもらって、山ヤの女の子のポートレート出したり、
わざと送電鉄塔入れたり。感情移入しやすいのか、反応はいいですね。
あと水平出さなかったりとか)
一つのテーマにそって、複数の絵を見てもらう時には、
飽きさせない、バランスをとる為にも、きれいにまとまった
ものばかりでは物足りない気もします。

鶏と卵の話じゃないですが、被写体と感性、どちらが先か?
と問われれば、あえて言うなら私は感性です。
出来る限り人とは違う、自分なりの見せ方をしたいから。
(王道を行ける技量無しには斬新な事もできないですが)
しかし、光線状態が悪いなど、現実に打ちひしがれることもしばしばですけどね。
結局被写体も重要です。


> 私は、被写体よりも感性や技量や表現が重要という一点だけは、すくなくとも風景写真においては否定します。
>
> 風景写真の中でも、私が撮りたいと思う風景写真はいわゆる「絵葉書写真」なのですが、絶対に被写体が最重要です。
> 「絵葉書写真」は個性の無い写真を蔑視する時に使われる言葉ですが、私は最も完成された風景写真だと思います。そういう意味で私にとっては一度は撮ってみたい写真です。
> その撮影は困難で、私のような趣味で写真をやってるサラリーマンには5年たっても10年たっても、本当に「絵葉書」に出来るような写真は撮れません。
> それは撮影技術や感性の問題ではなく、そういう被写体にめぐり合えないからです。実際、プロであっても撮影には何年もかかると思います。
> 風景写真は今やイメージ写真が主流ですが、これは「絵葉書写真」の撮影が趣味でやっている者には困難すぎて面白くないからだと思います。
> 紅葉を撮影するために1〜2ヶ月間、会社を休んでいいなら撮れるかもしれません。でもそれは状況が許してくれません。
>
> 香織淳士さん、*改めほしさんが主に撮影されている写真は、「こうじゃないとダメ」っていうのが少ないのでは無いかと思います。
> 自分の思うように画作りし、自分の感性や表現をそこに織り込む。
> でも風景写真、とくに完成された「絵葉書写真」は、こうじゃないとダメっていうのがあります。
> たとえばスイスの山の写真、曇っていたらその時点でダメです。見る人が、晴れた空と山頂に雪をいただく山を期待するからです。
> 風景写真にはそういうふうな、写真を見る人の(暗黙の)期待があるんですよ。
> 菜の花は黄色く、空は青く、木々は鮮やかな緑、夕焼けは燃えるような赤、そういう約束を外してしまってはダメなんです。(電線なんて論外!)
> 私がダメって言ってるんじゃないですよ。一般の人の多くがそういう物を期待しているという意味です。自然が相手なのに、被写体がそんなにいつもいつも都合良く最高の条件である訳が無く、そこに風景撮影の苦労があります。
>
> 絵葉書やポスターやカレンダーに使われている風景写真を撮っている人の苦労を思うと、被写体よりも撮影者の感性や技量で良い写真が出来るという結論には反対です。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9419
投稿日: 2004/11/01(Mon) 05:52
投稿者まさと

--> *改めほし さん


*改めほしさん、香織淳志さん、通りすがりさん、それぞれなるほどなるほどと思います。これまでの経過を通し、もちろん自分の確信をかなりはっきり述べたつもりですが、私自身もその確信が唯一絶対であり、ましてや誰もが同じ考えでなければならないとは思っていません。議論を多少おもしろく白熱したものにするために、あえてやや挑戦的な表現を使った場合もありますが、そのために不愉快な思いをされた方がいらっしゃたらこの場でお詫び申し上げます。
このスレを立てた一番の理由は、皆さんの真面目なご意見をうかがうことです。それによっていままでの自分の確信も変わるかもしれませんし、新たな発見もあるでしょう。その点はご理解ください。
機械や技術にこだわりすぎ云々の意見については、まったく*改めほしさんを前提としているわけではありません。*改めほしさんご自身もそういった意見を述べられているとは思いません。あくまで自分自身の一般的な印象です。たとえばこういった雑談板においても写真そのものを議論する場は少ないのではないかといったことです。
観察力とインスピレーションの話も私がもうしあげたいことと本質は同じだと思います。
アドリブ的なジャズとクラシックのたとえは、示唆するところの多い素晴らしいものだと思います。
ただ、絵心が素材よりも重要か否かではなく、素材の選択に絵心がもっとも表れる、というのが私の主張の骨子です。
やはりハイフェッツさんが別スレでのべておられた、スタジオやライティングセットなどを借りることが出来れば、自分の子供であれば親が撮る方が良い場合がある、という話も示唆にとんだものです。自分のお子さんを被写体を選ぶというその時点で、既に何かができあっがている。月を美しいと思わない人は月をとることはないでしょう。(いや、超望遠レンズの調子を見るために撮るかもしれませんが、そういった例はここでは一応除外します。)
とはいっても泥に咲く花や泥そのものをとるから絵心がない、というような短絡的な話をしているわけではありませんので、お分かりかとはおもいますがご理解ください。醜も美とおなじく表現の重要な要素であるばかりか、芸術、とりわけ視覚芸術の根本をつくるものです。
コスタリカだろうがなんだろうが、とる人によって全く違うものになるという意見には何の異存もありません。およそ写真をとる人でそのことに意義がある人はいないでしょう。
おおむね、*改めほしさんとの意見の相違は以外と少ないとは思うのですが、だたそれにもかかわらず、現時点では、やはり、スタンスや考え方、とりわけ目のまえの素材をどうとらえるかといった点においては、かなりの隔たりがあると思います。もちろん、だからこそ、写真とはおもしろいものであり、こうして議論する価値があるのですが。


タイトルRe: 素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9427
投稿日: 2004/11/01(Mon) 10:23
投稿者*改めほし

--> まさと さん

ハイフェッツさんへのレスと同じですが、
ですから別に結局意見に相違は無いのですよ。

被写体が重要でないなんて一言もいっていないのですから。
それに

> 絵心が素材よりも重要か

なんて、これも一言も言っておりません。
絵心「も」重要だと言っているのです。

それと、まさとさんからのレスはいつもそうなのですが、
私の問いかけに対する回答に具体性がかけています。

1. 料理の例え。まさとさんは素材を「良い悪い」と区分けしましたが、そうではなく写真との対比では「高級素材と、ありきたりの素材」とすべき。

2. 事前んい持っている自分のイメージに被写体を当てはめる(押し込めるといってもいい)のと、被写体を目の前にして感じ取るインスピレーションを大事にするのと、どちらが傲慢なんでしょうかね?

3. 被写体が写真を左右する可能性が80%とするならば、
撮影者による写真の違いなんて20%しか無いということになります。
風景写真のプロ同士で比較してもいいですよ。
間違い無く、それぞれが全く違った表現になると思います。
(だから、被写体の選択が重要であるということは同意しますが、
撮影者の絵心の違いや、撮影技術や、その他等々、やはり
掛け算式に、同じ被写体を撮ってもおおきくできあがりは違う絵に
なると思います)


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9411
投稿日: 2004/11/01(Mon) 03:09
投稿者通りすがり

--> まさと さん
良いポートレートが撮りたければ美人を探せ。

こりゃ100%嘘ですね。

良いポートレートが撮りたければ良いモデルを探せ。

こりゃ100%ホントでしょ。

なんて思います。


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9423
投稿日: 2004/11/01(Mon) 08:56
投稿者
URLhttp://www2.saganet.ne.jp/y-nakata/

--> 通りすがり さん

> --> まさと さん
> 良いポートレートが撮りたければ美人を探せ。
>
> こりゃ100%嘘ですね。
>
> 良いポートレートが撮りたければ良いモデルを探せ。
>
> こりゃ100%ホントでしょ。
>
> なんて思います。


ここへの書き込みは、もの凄く久しぶりになります。
板のみなさん、よろしくおねがいします。

表題の件に関してだけで意見を言わせて頂くと
私は、ここ数年ポートレートをメインに撮影していますが
今までの経験で思ったことは、通りすがりさんが言われて
いるように、美人ではなく、良いモデルが必要だと思います。
ただ美人なだけでは、何か感じる事が出来るような写真を
撮ることが出来ません。
ただ、美人を撮りたいだけの人出あればそれで良いのでしょうが…
私の場合は、自分のイメージを伝えて理解して表現してくれる
ような方でないと、なかなか良いものが撮れません。

と言うことで、美人より、表現力のあるモデルさんが重要かと
もちろん、両方を兼ね備えた方がいれば、尚いいですが…(^^;;;


タイトルRe^3: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9426
投稿日: 2004/11/01(Mon) 10:14
投稿者フミ
URLhttp://la-belle.or.tv/

--> yuki さん

> ただ美人なだけでは、何か感じる事が出来るような写真を
> 撮ることが出来ません。
> ただ、美人を撮りたいだけの人出あればそれで良いのでしょうが…
> 私の場合は、自分のイメージを伝えて理解して表現してくれる
> ような方でないと、なかなか良いものが撮れません。

私も同じ意見ですね。いくら美人でも、ポーズを指示してもスグ崩れる、
前に教えたことを1月足らずで忘れる、笑顔ばかりで感情表現出来ない等の方が、
作品撮りしていく上では不満になります。

> と言うことで、美人より、表現力のあるモデルさんが重要かと
> もちろん、両方を兼ね備えた方がいれば、尚いいですが…(^^;;;

それで、背の高いクールな方とか、可愛い方とか、その時撮りたいイメージにあった方なら最高ですよね。
私の場合、今はモデルさんに合わせて、合うイメージを探す感じですが。
ものすごい表現力をもった、普通に綺麗な方と、立ってるだけで画になる絶世の美女、
どっちを撮るといわれれば悩むでしょうが、やっぱり前者かなぁ(笑)


タイトルRe^4: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9431
投稿日: 2004/11/01(Mon) 11:59
投稿者匿名

 録音は非常に技術を伴いますが、録音される音楽の演奏自体が芸術で録音技術はなぜ芸術ではないのでしょう?
 写真も被写体を記録することには変わりないので、写すこと自体は技術でなくて芸術とはいえないのでは?
 被写体をどのように選ぶか等で作品のできは変わるので被写体にやはりかなり依存していると思います。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9432
投稿日: 2004/11/01(Mon) 12:10
投稿者*改めほし

--> 匿名 さん

>  被写体をどのように選ぶか等で作品のできは変わるので被写体にやはりかなり依存していると思います。

構図まで決まった上で、フレームの中に映っているものを被写体と言うのであれば、おっしゃる通りだと思います。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9434
投稿日: 2004/11/01(Mon) 12:34
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> 匿名 さん

音楽の演奏を忠実に録音することの「技術」は芸術ではありません。
写真におけるピントを合わすこと、手ぶれを防ぐことが芸術では
無い事と同じです。
録音でも街中に埋もれている音を、その人の感性で拾い集めてくれ
ば、その行為は立派な「芸術」になります。

制作物にその人の意図が明確に現れるかどうかが肝要ですね。
絵画で本物を模写したものが「作品」として扱われない事が分かり
やすいかと思います。

>  録音は非常に技術を伴いますが、録音される音楽の演奏自体が芸術で録音技術はなぜ芸術ではないのでしょう?
>  写真も被写体を記録することには変わりないので、写すこと自体は技術でなくて芸術とはいえないのでは?
>  被写体をどのように選ぶか等で作品のできは変わるので被写体にやはりかなり依存していると思います。


タイトルRe^5: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9438
投稿日: 2004/11/01(Mon) 13:37
投稿者らんせ

--> 匿名 さん

>  録音は非常に技術を伴いますが、録音される音楽の演奏自体が芸術で録音技術はなぜ芸術ではないのでしょう?
>  写真も被写体を記録することには変わりないので、写すこと自体は技術でなくて芸術とはいえないのでは?
>  被写体をどのように選ぶか等で作品のできは変わるので被写体にやはりかなり依存していると思います。

音楽の例えの場合を無理やり当てはめるのなら録音ではなく耳コピと即興演奏になるんじゃ?こちらは相当技術が必要ですが。

録音を例えに出すなら写真の場合はプリントのカラーコピーになるんじゃないでしょうか?


タイトルRe^2: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9449
投稿日: 2004/11/01(Mon) 17:14
投稿者m2n

みなさんのお話と少しズレるかもしれませんが・・・

通りすがりさん:
> 良いポートレートが撮りたければ美人を探せ。
> こりゃ100%嘘ですね。
>
> 良いポートレートが撮りたければ良いモデルを探せ。
> こりゃ100%ホントでしょ。

これを読んで、昨年木村伊兵衛賞を受賞された澤田知子さんを思い出しました。

http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/camera/kimuraihei_29th/

# 脱線してたら無視してください(^^;


タイトルRe: 良いポーレートが撮りたければ美人を探せはほんとうか。
記事No: 9433
投稿日: 2004/11/01(Mon) 12:28
投稿者*改めほし

今回のハイフェッツさんとまさとさんとのやり取りについて
当方なりの感想を以下の通りまとめます。

1)絵心が重要な要素になるということでは、意見に相違が無い。

2)ハイフェッツさんやまさとさんは
 「素材の選択に絵心がもっとも表れる」すなわち、
 被写体の選択が非常に重要としている。

3)スナップやポートレートでは
 その場におけるアドリブ的絵心「も」重要な要素となる
 というのが私の意見。
(例えばポートレートにおける素材の選択の重要さを
 否定している訳ではありません。素材×絵心の話。)

ということで、何度も繰り返しになりますが、
これは単に撮影スタイルやアプローチの違いという話。
優劣や正誤という違いではありません。
どちらもアリという話です。

但し、絵葉書的写真を追求されている、という
ハイフェッツさんの姿勢には、正直ちょっと新鮮な
驚きを感じました。
別レスでも書いた通り、スイスに行った折、それこそ
絵葉書的写真を撮りまくりましたが、
絵葉書的写真ならば絵葉書や市販のポスター買う方がいいや、
というのが私の結論となりましたので。。。

なお、風景写真=絵葉書的写真
と定義はできないと思います。
それは、あくまでハイフェッツさんの場合、だと思います。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9458
投稿日: 2004/11/01(Mon) 18:24
投稿者まさと

--> *改めほし さん

まとめありがとうございます。
絵はがき写真について一言。
絵はがき写真は絵はがきを買うのが一番は絶対賛成です。
絵はがきや写真集はその分野の専門家が必要な機材をつかって、最高の場所、最高の時間に撮られています。最高の場所、時間帯は地元の写真家か、写真的観点から地元に精通した人しか知りません。
以前は自分の山行きの参考程度にしかみなっかた絵はがきや写真集も最近はしげしげとながめるようになりました。おもに撮影場所の参考にするためですが、物凄く感心します。ハイフェッツさんの意見に私が賛同するところがおおいのも、撮影スタイルのせいだろうと思います。苦労するところが同じだからです。
わたしが見る絵はがきの場合、山とその周辺ですが、まず、普通人の行かないところか、いけないようなところで撮影されています。空撮ならヘリか飛行機をチャーターしているわけです。時間帯と季節と天候と全ての条件がととのうのは極まれです。旅行でいってとれるようなものではありません。地元の写真家が多いと思うのはそのためです。
秋の撮影といっても、今年の10月は撮影日和は6日もなかったでしょう。そのうえ紅葉の最盛期は標高によりますがせいぜい2週間。それを逃すともう来年ということになります。
先日も山へいったとき、マウンテンバイクをつかった広告写真の撮影が行われていました。普通、絶対マウンテンバイクではいかない、行ってはいけないところです。ロープウェーを使えるので、アクセスは可能ですが、その場所でとるという発想になるほどと感心しました。確かに最高の場所です。この日は10月の晴れた6日ほどの1日でしたが、少しでもかげるとだめなので、雲が切れるのを待ったりと随分時間がかかったようでした。
もし、このときの適当な写真があればBBSにアップしておきます。あっ、モデルさんはやっぱりかわいかったですねぇ


タイトルこのスレッドの前の意見を見て
記事No: 9442
投稿日: 2004/11/01(Mon) 15:03
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> まさと さん

>とりあえず、ここでは、写るんですで撮った写真や、小学生、素人>の女性の作品が、いわいるプロのそれを凌ぐ感動を与える場合があ>
>る、ということにとどめておきます。

このスレの発端となったスレを見てびっくりしたので、私の意見を
書いておきます。まさとさんが、このような認識をしている限り
意見の相違は埋まらないと思いますので。

まず、芸術一般について、その人が「芸術家」として認められるに
は、コンスタントに一定の高レベルの作品を制作できるか、演奏が
できるか、ダンスが踊れるかが問題となります。それらの高水準を
維持でき、なおかつそれによって収入を得ている人がプロです。
ですから、いろんな分野でプロに匹敵するアマが存在します。

写真については、一発の幸運で素晴らしい写真が撮れる可能性は
ありますが、それをコンスタントに撮り続けることは不可能です。
その確率を上げるために撮影技術(被写体の選択、フレーミング、
機材の選択、機材の使いこなし等々)を磨くのではないですか?

私は一発芸の素晴らしい写真をみても、1枚だけで複数枚見なけ
れば、その幸運に感心することはあっても、「作品」として感動
することはありません。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9447
投稿日: 2004/11/01(Mon) 16:56
投稿者まさと

--> ぷーさん さん

> --> まさと さん
> > >とりあえず、ここでは、写るんですで撮った写真や、小学生、素人>の女性の作品が、いわいるプロのそれを凌ぐ感動を与える場合があ>
> >る、ということにとどめておきます。
> > このスレの発端となったスレを見てびっくりしたので、私の意見を
> 書いておきます。まさとさんが、このような認識をしている限り
> 意見の相違は埋まらないと思いますので。
> > まず、芸術一般について、その人が「芸術家」として認められるに
> は、コンスタントに一定の高レベルの作品を制作できるか、演奏が
> できるか、ダンスが踊れるかが問題となります。それらの高水準を
> 維持でき、なおかつそれによって収入を得ている人がプロです。
> ですから、いろんな分野でプロに匹敵するアマが存在します。
> > 写真については、一発の幸運で素晴らしい写真が撮れる可能性は
> ありますが、それをコンスタントに撮り続けることは不可能です。
> その確率を上げるために撮影技術(被写体の選択、フレーミング、
> 機材の選択、機材の使いこなし等々)を磨くのではないですか?
> > 私は一発芸の素晴らしい写真をみても、1枚だけで複数枚見なけ
> れば、その幸運に感心することはあっても、「作品」として感動
> することはありません。

なるほど。おしゃることはもちろん理解できます。その作品?の撮影者に目を向けた場合はそう言うことになるでしょう。作品と呼べるようなものを偶然や幸運ではなく、コンスタントに生み出せる技量や経験がなければ、いかに優れたものを撮ったとしても芸術家でもプロでもありません。しかし、だからといってそう言った人たちが撮った作品の価値が下がるわけでもありません。
写真においては、その芸術家ではない人たちが、素晴らしいものを生み出す可能性が、他の分野に比べきわめて高いのは事実です。
特定の分野、とりわけ伝統の長い分野ではそういったことは全く不可能です。クラシック音楽や舞踏において、アマのレベルがプロ並になることも、プロ並のレベルのものを偶然生み出すことも全く可能性はありません。もちろんプロの線引きをどこにするかにもよりますが、素人ではそのレベルに達する、あるいは維持するための環境をもてないからです。
別スレで引いたたとえの良し悪しは別にしても、写真芸術の特徴の一つがこのアマチュアイズム、ディレッタンティズムにあるのは本当だと思います。だからといって、プロ、アマ問わず技術的訓練を怠ってはいけないというのはもちろんだと思いますが。


タイトルRe: 素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9451
投稿日: 2004/11/01(Mon) 17:43
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> まさと さん

なにか議論が堂々巡りしそうですが、写真についてプロと本当の
素人との差はまさとさんが考えるほど小さくはないですよ。
敷居は低いようで相当に高いです。あくまでも「芸術性」の面
でですよ。

まさとさんがプロを凌ぐ感動を与える「写真」は「芸術作品」では
ないのです。全くの別物と考えていいです。ですから、そのような
写真を撮ろうと目指す人はいませんよね。偶然の産物ですから。

もし、「偶然の産物」を生み出すためにポートレイトに美人のモデル
を求めるのであれば、それは否です。スタジオでライティングはスタ
ッフがやって、モデルとは喋れず、撮影角度が決まっているのならば
差は出にくい(それでもレンズの選択・露出の選択・シャッタースピ
ード等々かなりいじれる所が多いですねぇ)ですが、そこまでの
セッティングが「専門的領域」で素人には気の遠くなる事だと思い
ますよ。

> なるほど。おしゃることはもちろん理解できます。その作品?の撮影者に目を向けた場合はそう言うことになるでしょう。作品と呼べるようなものを偶然や幸運ではなく、コンスタントに生み出せる技量や経験がなければ、いかに優れたものを撮ったとしても芸術家でもプロでもありません。しかし、だからといってそう言った人たちが撮った作品の価値が下がるわけでもありません。
> 写真においては、その芸術家ではない人たちが、素晴らしいものを生み出す可能性が、他の分野に比べきわめて高いのは事実です。
> 特定の分野、とりわけ伝統の長い分野ではそういったことは全く不可能です。クラシック音楽や舞踏において、アマのレベルがプロ並になることも、プロ並のレベルのものを偶然生み出すことも全く可能性はありません。もちろんプロの線引きをどこにするかにもよりますが、素人ではそのレベルに達する、あるいは維持するための環境をもてないからです。
> 別スレで引いたたとえの良し悪しは別にしても、写真芸術の特徴の一つがこのアマチュアイズム、ディレッタンティズムにあるのは本当だと思います。だからといって、プロ、アマ問わず技術的訓練を怠ってはいけないというのはもちろんだと思いますが。


タイトル素材の追及こそが80%を占めるは本当か
記事No: 9464
投稿日: 2004/11/01(Mon) 20:39
投稿者まさと

--> ぷーさん さん

> --> まさと さん
> > なにか議論が堂々巡りしそうですが、写真についてプロと本当の
> 素人との差はまさとさんが考えるほど小さくはないですよ。
> 敷居は低いようで相当に高いです。あくまでも「芸術性」の面
> でですよ。
> > まさとさんがプロを凌ぐ感動を与える「写真」は「芸術作品」では
> ないのです。全くの別物と考えていいです。ですから、そのような
> 写真を撮ろうと目指す人はいませんよね。偶然の産物ですから。
> > もし、「偶然の産物」を生み出すためにポートレイトに美人のモデル
> を求めるのであれば、それは否です。スタジオでライティングはスタ
> ッフがやって、モデルとは喋れず、撮影角度が決まっているのならば
> 差は出にくい(それでもレンズの選択・露出の選択・シャッタースピ
> ード等々かなりいじれる所が多いですねぇ)ですが、そこまでの
> セッティングが「専門的領域」で素人には気の遠くなる事だと思い
> ますよ。

写真におけるプロ、あるいは専門家との差ですが、正確なことは自分がプロで無い以上申し上げられません。
いつもたとえ話で申し訳ないのですが、自分の親友にある写真家がいます。かれは若いとき物凄く売れたときがあって、若手の旗手でスター写真家としての地位を得るかと思われました。それで、その時手にいれたかなりの金でスタジオをつくったりいろいろ投資したのですが、なぜか、突然、全然売れなくなってしまい、その後、借金で首も回らない状態になってしまいました。元々芸術家気質で金が有ろうとなかろうと生活スタイルはなかなか変えません。我々凡人?には理解に苦しむようなところがあります。その後今日まで、一応写真家として食ってはいますが、やはりたいへんです。
その彼の専門はポートレーで、いまでも街角でスナップ的に撮ったポートレーなどを見せてもらうと素晴らしいものです。素晴らしいというのは、絶対彼しか撮れない写真なのです。普段の街角の路上で、モデルはどこにでもいる女の子なのに、個性で輝いた写真だと私でも思うのです。もちろん私が彼という人間を良く知っているからそう思うのかもしれませんが、彼はそういった撮影が得意なのです。ただそれが商売にならないだけであって。
契約でもらったスタジオ撮影の場合はやはり、プロですからお客の要求にあったプロらしいものを仕上げます。悪く言えば個性がありません。逆にいえば訓練を受けていない素人には撮れないものです
で、その彼ですが毎日何時間も写真のことを考えたり、写真をとったり、研究したりしているわけではありません。私らと飲み歩いたり、カフェで互いの最大の関心事である政治問題を論じたりしている時間がほとんどです。中古のD100を買ってからはデジタルも使いだし、今はマックとレタッチに時間をついやしているかもしれませんが。
音楽では練習しないなどありえないことです。一度到達したものでも技術が落ちてしまいますから。
ちなみに彼が私が撮るようなタイプの風景を撮っているのを見たことがありません。ほとんど感心がないようです。仕事で建物をとるぐらい。実際、かれが風景をとってもつまらないモノばかりで、私には普通の素人が撮ったものとなんの違いも感じません。何の新鮮味もない。もちろん本人には口が裂けてもいえませんが。この書き込みが本人の耳に入らないように願うばかりです。
他の知り合いの写真家もポートレー専門で同じ傾向があります。
今現在は辺鄙なところにおり、写真家はおろか、写真を撮る人間すら私の周りにいませんので、なんともいえませんが、もしかするとネイチャー派とポートレー派は本当にタイプがはっきり分かれるのかもしれません。

以上、私の感想は写真とは本当におもしろいものだということです。


タイトルはあ?
記事No: 9485
投稿日: 2004/11/02(Tue) 00:58
投稿者ぷーさん
URLhttp://digitalpoohsan.hp.infoseek.co.jp/

--> まさと さん

写真に限らずプロ(それで生計を立てている)に劣らない技量を持っ
ている人はたくさんいます。当然売れるか売れないかは、その人の
芸術性とは100%連動するわけではありません。

私はまさとさんの親友の作品を見ていませんので、なんとも意見の
しようがないです。

しかし、その友人の方が何の研究もしていないと言うのは、大変
失礼な話で、他人が分かる事ではないです。まず、まさとさんが
私を見れば、とても写真をやっているとは見えないと思いますよ。
でも、普通の生活の中でも「四六時中」写真にプラスになる刺激は
ありますね。

最後にポートレイトとネイチャーに本質的な差はありません。写した
物の力が全てです。まさとさんの作品は見ておりませんので、言及
はしませんが、私は自分の作品をさらしての意見です。では。

> 写真におけるプロ、あるいは専門家との差ですが、正確なことは自分がプロで無い以上申し上げられません。
> いつもたとえ話で申し訳ないのですが、自分の親友にある写真家がいます。かれは若いとき物凄く売れたときがあって、若手の旗手でスター写真家としての地位を得るかと思われました。それで、その時手にいれたかなりの金でスタジオをつくったりいろいろ投資したのですが、なぜか、突然、全然売れなくなってしまい、その後、借金で首も回らない状態になってしまいました。元々芸術家気質で金が有ろうとなかろうと生活スタイルはなかなか変えません。我々凡人?には理解に苦しむようなところがあります。その後今日まで、一応写真家として食ってはいますが、やはりたいへんです。
> その彼の専門はポートレーで、いまでも街角でスナップ的に撮ったポートレーなどを見せてもらうと素晴らしいものです。素晴らしいというのは、絶対彼しか撮れない写真なのです。普段の街角の路上で、モデルはどこにでもいる女の子なのに、個性で輝いた写真だと私でも思うのです。もちろん私が彼という人間を良く知っているからそう思うのかもしれませんが、彼はそういった撮影が得意なのです。ただそれが商売にならないだけであって。
> 契約でもらったスタジオ撮影の場合はやはり、プロですからお客の要求にあったプロらしいものを仕上げます。悪く言えば個性がありません。逆にいえば訓練を受けていない素人には撮れないものです
> で、その彼ですが毎日何時間も写真のことを考えたり、写真をとったり、研究したりしているわけではありません。私らと飲み歩いたり、カフェで互いの最大の関心事である政治問題を論じたりしている時間がほとんどです。中古のD100を買ってからはデジタルも使いだし、今はマックとレタッチに時間をついやしているかもしれませんが。
> 音楽では練習しないなどありえないことです。一度到達したものでも技術が落ちてしまいますから。
> ちなみに彼が私が撮るようなタイプの風景を撮っているのを見たことがありません。ほとんど感心がないようです。仕事で建物をとるぐらい。実際、かれが風景をとってもつまらないモノばかりで、私には普通の素人が撮ったものとなんの違いも感じません。何の新鮮味もない。もちろん本人には口が裂けてもいえませんが。この書き込みが本人の耳に入らないように願うばかりです。
> 他の知り合いの写真家もポートレー専門で同じ傾向があります。
> 今現在は辺鄙なところにおり、写真家はおろか、写真を撮る人間すら私の周りにいませんので、なんともいえませんが、もしかするとネイチャー派とポートレー派は本当にタイプがはっきり分かれるのかもしれません。
>
> 以上、私の感想は写真とは本当におもしろいものだということです。

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